喫煙者だけど「喫煙席か禁煙席か」聞かれる嫌煙者の心情はちょっとわかる

 

もしかして俺、年齢確認でブチ切れる老害よりも重症なのかも知れないけど

 

上の記事で増田は、

タバコ吸わないどころか、徹底して「嫌煙」であるオレとしては、飲食店などで「禁煙席か喫煙席か」と尋ねられるだけで腹が立つ。っていうか、もっと「非喫煙」を“標準”とし、喫煙のクズ野郎を“異例”扱いしろや!

といったことを書いている。

 

これを読んだとき、はじめは

「“嫌煙”も度が過ぎると、沸点がこんなところにまで行き着いてしまうのか」と、ある意味、恐れ入った。

 

もちろん、これはいわゆる“釣り”かも知れない。

 

そうなると、目的は「他の人たちがどんな反応をするか見てみる」ことになるわけだが、その反応を見てみたところ、もちろん手放しで賛同する人はさすがに見られない。

しかし、多少なりとも「喫煙か非喫煙かを尋ねられるのが面倒臭い」と感じている人は少なくないように思えた。

 

こういう人たちにとっては、先述の増田の言うとおり、「今どき“非喫煙”が標準であって、“喫煙者”なんて例外中の例外でしょ?」という思いがあるのだろうなと思う。

 

また、先の増田ほど強烈ではないにせよ、「“喫煙者”と思われるのは心外だ」という気持ちも、多くの嫌煙者の根底には共通してあるのだろうとも思う。

 

愛煙家の自分としては、今更ながら肩身の狭い、しかし、当然受けてしかるべき迫害として、改めて「自宅内以外での喫煙は慎重に」との思いを強めた次第であると同時に、考えてみれば、彼らの心情には自分も思い当たるフシがあるなとも感じた。

 

僕は見た目がおとなしそうで、色白で、見るからにインドアタイプであることもあってか、結構な割合で他人から「アニメやゲームに詳しそう」という先入観を持たれがちである。

 

ところが僕は今どき珍しいぐらい、アニメにもゲームにも興味はあるのだがあまり詳しくない。中学生以降、ほかに夢中になるものが出てきたこともあって、すっかりアニメ・ゲーム離れしてしまい、ファミコンスーファミも全く経験してこなかった。

 

そして、それだけではなく、実をいうと30歳以上の年齢でアニメ・ゲーム、そしてまたアイドルなどを非常に好み、すごく詳しいという人に対して、若干“ひいてしまう”感覚さえ持ってしまっているのだ。これまた今どきの時流には全くそぐわない感性だとは思うが。

 

だから、他人に「アニメとかゲームに詳しそう」などと言われると、「ああ、またか…。なんでそう見えちゃうんだろ」とあまりいい気がしないのである。

 

この世でかなりの割合を占めるであろう「アニメやゲームが好きでタバコが大嫌い」という人からすれば、「“喫煙”のようなクズ行為とアニメ・ゲーム好きという立派な趣味を一緒にするな」と思われるだろうし、それはその通りなのだが、あくまでも“個人的心情”の面だけで言わせてもらうと、

 

僕が「アニメ・ゲームに詳しいヤツ」と思われるのを心外だと感じるように、「自分があまり好ましい感情を抱いていないタイプ」と自分を同一視されることは、誰もがイヤなわけである。
だから、嫌煙者が自分のことを喫煙者と思われるのを心外だと感じること、そこから派生して、「喫煙席ですか禁煙席ですか」と聞かれることさえ、あまり気分の良いものではないと感じることは、ちょっと理解できるなと思ったわけである。

 

期限過ぎた返信の催促をしたときの相手の反応が理不尽すぎる

 

こちらが先方に確認したい事項をメールで送り、それに対して、いついつまでに返信くださいとお願いをする。

 

こういった業務はどんな仕事でも結構あると思う。

 

僕もここ数か月、継続的にこの作業をしている。僕の場合、その相手は各自治体役所の観光課であったり、観光協会であったり、はたまたある文化施設の窓口だったり、である。

 

そして、返信をお願いする内容は、当該文化施設や当該名所・旧跡に関する見学料金や駐車場、受付定休日といった情報である。

 

大体メールやFAXを送ってから1週間を目安に期限を切っているのだが、1週間過ぎても音沙汰ないことも珍しいことではない。

 

そこで、「こちらからのメールやFAXがちゃんと届いていたか?」の確認を装った、さりげない催促の電話をする。

 

それから4、5日後、まだ返信をくれないところも結構ある。

 そこで、再度電話。もうこれ以上は待てない。

 

そんな電話に対して、結構な頻度で、こういう返答が返ってくる。

 

「ああ、すみません、まだでしたね…。それで…、いつまでに送ればいいでしょうか?」


いや、いや…。

“いつまでに?”も何も、期限とっくに過ぎてるんだってば。


そこで僕が「あのぉ、できれば本日中にいだだけると、助かるんですが…」と言う。

すると、多くの場合、向こうからこう返ってくるのである。

 

「えっ!今日中…ですか?(半笑い)」

 

いやいやいやいやいや、なに?その「“今日中”って、そんな無茶な。ウソですよね?」みたいな反応。

 

とっくに返信の期限が過ぎてることを棚に上げて、まるでこちらが無理難題を押し付けているかのような言いぐさである。

 

答えてもらいたい項目は、先にも挙げた通り、定休日や利用料金、そして簡単な施設(名所・旧跡)の紹介文で、時間にして長くとも1時間あれば済むような作業。

 

それを依頼してから10日間以上も猶予があったのだから、どれだけ忙しくても、じゅうぶん完了させることはできたハズで、何なら、こちらが言うまでもなく「今日中には返信します!」と言ってもらいたいぐらいだ。

 

期限を過ぎてる時点において、まだなお、「いつまでが期限か?」と質問できる、その厚かましさや無神経さが、信じられない。

 

もういい加減「東京は結構雪が降る土地」ってこと自覚していいのでは?

 

東京の街に雪が降り積もるたびに、

 

「東京各地では降雪に慣れていない都民が混乱云々……」

 

とニュースなどで伝えられているのを目にするが……

 

西日本の人間からすれば、東京は長野や新潟からも比較的近く、わりと東北エリア寄りの立地という認識があって、

 

「もういい加減、“東京は日本の都市部の中でも雪がよく降る方”と自覚しろよ。いつまで“雪には慣れていない”とか言ってんだ?」

 

と思われてるんじゃなかろうか……

 

“聴覚障害者の作品”だからCD買ったという人は、握手券目当てでCD買うAKBオタと同レベル。


彼の聴覚障害というハンデがあったからこそ、そして、そんな彼が作った作品だからこそ、彼の音楽に興味を持ち、CDを買ったりしたのに、彼の手による作品ではなかった、さらに、聴覚障害自体も怪しいと知って、だまされた気分。損をした。CD代を返してほしい。

 

佐村河内氏のCDを買った人で、もし、上記のような怒りの気持ちや落胆の気持ちの人がいるなら、そんな“恥さらし”な物言いはぜひとも止めておいた方がいい。

 

だって、「私はその作品の作者の経歴やバックグラウンドによってしか、芸術作品に対する興味など湧かず、作品それ自体のクオリティや良し悪しやなんてよく分からないし、興味もありません」と言ってるようなものではないか。

 

純粋にその音楽そのものを“いい曲だな”“家でもじっくり聴きたいな”と思ってCDを入手したのではなく、その音楽に“付随する情報”にこそ価値を見出したという意味において、

 

握手券欲しさにCDを買うAKBオタどもとほとんど変わらない行為

 

だと思う。

オリンピック選手の「(メダルを獲れなくて)日本の皆さんに申し訳ない」はやめて欲しい

 

竹田恒泰氏がTwitter
「日本は国費を使って選手を送り出してます。選手個人の思い出づくりのために選手を出しているわけではありません。“(オリンピックを)楽しめた”などの発言はあり得ない」

なんて発言をしております。
https://twitter.com/takenoma/status/432104627899621376

 

まあ、この人は「全体主義国家こそ理想」という主張の権化みたいな人なので、この発言については、「さもあらん」って感じなのだが、しかし……である。

 

彼のこうした発言によって、オリンピックに出場する日本代表選手が、

「今まで支えてきてくれた家族やスタッフ、そして日本で応援してくれている皆さんのために、メダルを持って帰ってあげたい」

とか、

「今まで協力してきてくれた周りの人や、応援してくれた日本の皆さん対して、こんな結果で申し訳なく思います」

とか、

ますますそんな発言ばかりするようにならなければよいが…と思う。

 

というのも、選手たちのこのテの発言に僕は辟易しているのだ。

 

「皆のためにメダルを」とか「(メダルが獲れなくて)皆さんに申し訳ない」とか、そんな発言を聞くたびに僕はこう感じる。

 

「えっ!アナタは、我々のために、その競技をやってるの?」と。

 

違うだろ。

 

幼少や若い頃、その競技に出会い、そこで才能や素質を開花し、さらに鍛錬して強くなり、勝つことの喜びを味わい、しかし、自分よりも強い者に出会い、それを倒すためにまた鍛錬し…

ということを続けてきた結果、世界トップクラスにまでのし上がってきた猛者たち、それが彼らトップレベルのアスリートである。

 

つまり、上昇志向や野心、勝利への執着、そういったものの塊、モンスターなのである。

逆に言えば、そんな、人一倍負けず嫌いで、勝つことへのあくなき追求心を持った者でなければ、世界トップクラスのレベルに到達するアスリートになどなれるわけがない。

 

要するに彼らは、ただひたすら、「強くなりたい」「上手くなりたい」「勝ちたい」、そして願わくば「一番になりたい」、そう思って競技に打ち込み、試合に臨んでいるのだ。

 

これこそが彼らのモチベーションなのであって、一流アスリートというものは、それで当然だし、そうあるべきだろう。

 

だから、彼らが勝ちたいのは、誰のためでもなく、自分自身の誇りや自尊心、達成感のためであり、そして負けた時は、自分以外の誰かに申し訳ないのではなく、自分自身に対して歯がゆく、情けなく思う。それが本音であるはずだ。

 

そんな彼らから、「皆さんのためにメダルを持って帰ってあげたい」「メダルを持って帰られなくて、皆さんに申しわわけない」などといったことを言われても、空々しいだけだ。

 

彼らにこういう発言させてしまっているのが、先の竹田氏のような考えであり、日本全体にはびこる「“私”よりも全員」「“私”よりも国家」を尊重することこそ美徳とする風潮だろう。

 

政治家や官僚に、そうした「私心を捨てて皆のために必死になれ」と求めるのは分かるが、アスリートたちにそんな意識を求めるのはやめてもらいたいものである。

 

我々は最初から斎藤祐樹選手を内心“嘲笑”の対象にしようとしていなかったか?


現在、日本ハムファイターズで、いまだ大きな戦力として活躍できていない斎藤祐樹投手。

 

そんな彼については、

 

「マー君とすっかり差がついちゃったな」
とか
「今からでもまだマー君に追いつけると思ってるみたいだけど、そろそろ実力の差を認めろよ」

 

などと、揶揄する声も多い。

 

そこでふと思ったのだが、

 

思えば我々は、あの甲子園で彼の姿を見たときから、どこかで彼を嘲笑の対象にしようとはしていなかっただろうか?

 

ということ。

 

ハンカチ王子」などという愛称自体がまさしくそのことを証明している。

 

たとえば甲子園の大舞台で活躍する投手がいて、それがアンダースローだったなら“サブマリン”を筆頭に、“平成の山田久志”とか“牧田和久2世”とか、

そんな、「ピッチング」にまつわる愛称やキャッチフレーズをつけられるのが常である。

 

ところが彼の場合、野球とは全く関係のない“ハンカチ王子”である。

 

「顔の汗をハンカチで拭く」という、人として別段オカシイわけでもなければ、異様でもないこの行為ばかりが取沙汰されていた。

 

「おやおや、高校球児が試合中に吹き出す汗を、ポケットからハンカチを取り出して拭いてるよ。何とまぁ“お上品”なことでwww」

 

「オレなんて高校生の頃は、汗なんかいつも服の袖で拭ってたもんだ。それにひきかえ斎藤君は試合中でもちゃんとハンカチを常備しているなんて、育ちがいいですなぁ(笑)」

 

というような、

 つまり、彼の“野球選手らしからぬ”身なりの良さに対して非常に“奇異な視線”が向けられていたと思われるのだ。

 

もっと言えば、

 

“ゆとり”高校球児

とか

早実の“ちょっとイタい”エース 

 

とでも言うような、若干悪意に近い気持ちがこの
ハンカチ王子
という言葉、特に“王子”の部分に込められていたような気がする。

 

もし、本当に彼の野球の実力を認め、「大したピッチャーだ」と心底感心していたなら、

ハンカチ王子」などという、野球選手を称するにしては“ふざけている”とも言える愛称など付けていなかったのではないだろうか。

 

それでも、あの甲子園大会においては、
彼は勝った。

マー君と投げ合い、見事優勝投手となったわけだ。

 

そこで、誰もが彼を認めざるを得なくなり、
ハンカチ王子」という愛称は残ったけれども、そこにほのかに込められていた“悪意”は立ち消えていった。

 

ところが、
プロ野球選手になり、なかなか花開かない彼を見て、
これまでひた隠しにされてきた彼に対する「悪意」は噴出したわけである。

 

「ほうら、言わんこっちゃない。お上品な“王子さま”に、厳しい実力至上主義の世界なんて務まんないんだよ!」と。

 

そういう意味において、すごく皮肉な言い方をすれば、彼は、

「お利口な優等生タイプが野球選手としても優秀であってたまるか!」
とか
「野球ってのは汗まみれ、泥まみれになってやるものだ。あんな涼しい顔して野球やるヤツがプロの世界で通用してたまるか!」

といった固定観念を持つ古いタイプの野球ファンたちの期待に見事応えているとも言えるだろう。

 

どうでもいいけど「“偽ベートーベン”呼ばわりされる筋合いない」とは思ってるんじゃないかな

 

別に佐村河内氏のことを擁護する気は全くない。

 

ただ、現在、各マスコミが彼のことを

「偽ベートーベン」

と称しているのを見てて、

 

いやいや、彼が「現代のベートーベン」を自称したり、

ベートーベンの名を騙ったりしてたわけじゃなく、

マスコミが勝手にそう称して祭り上げてたんだから、

もし僕が彼だったら、

「“偽ベートーベン”と言われてもなぁ……」

という気持ちにはなるかも。

 

と、そんなことを思っただけの話。

 

それにしても、

 

「世間をナメてはいけない」とか「世の中、そんな甘いものではない」とか

そんな風によく言われるけど……

 

今回の佐村河内氏の聴覚障害についての疑惑や、

以前の森口氏の「ハーバード大学客員講師であることや世界初のiPS細胞による心筋移植手術実施」などの虚偽発覚や、

はたまた、オレオレ詐欺およびその発展型にいまだ騙される人が後を絶えないこと

などなどを見てると、

 

「案外、世の中ってちょろいんじゃないの?」

と思ってしまう人がいても無理からぬことではなかろうか……。