被雇用者は基本的に「生産性など知ったことではない」というスタンスでいいんじゃないの?

 

ちょっと以前の話になるが、いろいろと意見が飛び交っていた「仕事における生産性に対する意識」という問題。

 

「生産性の概念の欠如」がたぶんもっとも深刻
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20131015

 

「生産性の概念の欠如」はなぜ起こるのか
http://dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2013/10/15/210039

 

こちらで述べられている趣旨は、確かにもっともなところではある。

 

もっともではあるがしかし、特に上のブログ記事においては経営者の立場だけでなく、そのもとで働く従業員(被雇用者)についても言及している点に関して、僕はあまり賛成出来ないという気持ちもある。

 

僕は基本的に「生産性」なんてものは、経営者のみが意識するものであって、一従業員は「知ったことではない」というスタンスで構わないと思っているのだ。

 

だから、たとえばフリーランスの個人事業主や少人数のSOHO、また家族経営の個人商店など、仕事に従事している者が同時に経営・マネジメントにも携わっている場合であれば、生産性やコストダウンの意識は多いに持つべきだろうし、むしろ持っていないと成立しないと思う。

 

しかし、経営面には全くノータッチの、一従業員である立場の者が、自分の仕事における生産性やコスト面まで意識するべきなんだろうか?

 

そりゃあ、経営者からすれば、そんな従業員ばかりなら、これほど楽なことはないだろう。

 

でも、大きな会社の有利な点の一つは、各部署がそれぞれの専門分野に専念し、そのことだけを考えていればいいという環境を作ってあげられるところであろう。

 

常に生産性やコスト面を意識しながら日々の仕事をこなしていくなんて、それでは個人事業や個人商店と変わりないではないか。

 

「個人が自発的にそういう意識を持つのは自由だろう」と反論されるかも知れないが、それならば僕は“敢えて意識するべきではない”と言いたい。

 

「給料を上げるにはこの会社の利益が上がらないといけない。そのためにも自分の仕事におけるコストを抑えなきゃ」などと自覚している従業員など、経営者にとって都合のいい優等生であって、それこそ“社畜化”の始まりではないかと思えてならないのだ。

 

なんか、「従業員全員がそれぞれ“自分もこの会社の経営者なんだ”という意識を持って仕事しよう」なんて、実に日本的な、それもブラック企業的な発想に感じられる。

 

別に僕は、何かにつけて欧米先進国に倣うべきだとは思っていないし、経営者対被雇用者の対立をむやみに煽ろうなどとも思っていない。

 

しかし、こと大規模会社組織においては、
「会社の利益という命題の一環としての各従業員の生産性向上」は経営者に責任のある領域、そして従業員は「私はただ自分の労働力を提供するのみ。それを活かすも殺すも(=コスト抑制を図ったり、賃金面などでモチベーションを上げたりなど)アナタがた経営陣次第」という、この両者のスタンスをはっきりと区別するべきだと思うのだ。