「人それぞれ、好きなようにすればいい」が許せない人たち

 

中学生のとき、午後からの授業が、市内の郷土史資料館を見学する課外授業になったときのことだ。

 

見学を終え、教室に帰ってきた我々に、先生から宿題が出された。

 

「今日の資料館見学で、感じたこと、考えたことを、いつも使ってる各人の連絡帳に書いて、明日提出しなさい」。

まあ、いわばレポート提出だ。

 

この宿題が言い渡されて、この日は下校となったのだが、教室の掃除当番で残っていた僕を含むメンバーの中の一人の女子がこんなことを言い始めた。

 

「そういえば、明日提出する感想文、何文字ぐらい書けばいいのかな?」と。

 

すると一人の男子がこう返した。「先生、(文字数については)何も言ってなかったし、何文字でもいいんじゃない?」。

 

僕はこの意見に大いに賛成であった。仮に先生がある程度の文字数を想定していたのだとしても、そのことを伝えなかった以上、非常に分量の少ないレポートを提出した場合、「もうちょっと書くことあるだろ」と小言を言われることはあっても、少なくとも「先生の指示を無視した」ことにはならない。レポートを書くのが面倒くさい僕としては、その方が都合がよいのだ。

 

はじめに疑問を投げかけた女子とそれに答えた男子の間では、こんな会話が続けられた。

「何文字でもいいってさ……、じゃあ、○○くんはどれぐらい書くつもりなの?」

 

「そうだな……。オレは(連絡帳の)半ページぐらい埋めればいいと思ってるけど」

 

「半ページって1ページの半分?それって少なくない?せめて1ページは埋めた方がよくない?」

 

「そうかな……」

 

横でこの会話を聞いていた僕はこの女子に苛立ちを感じ始めていた。

「そう思うんなら、オマエは1ページしっかりと埋めてくればいいだろ!文字数指定されてないんだから、他の人が半ページ分しか書かなかろうが、どうだろうが、当人の自由だろ!」と心のなかでつぶやく僕。

 

ところが、ここであろうことかこの女子はとんでもない「余計なこと」をしてしまうのである。

 

「やっぱり…先生に(望ましい文字数を)聞いておいた方がいいよ。私、聞いてくる」。

 

こうして、彼女は職員室へと向かっていった。

そして結果的に最低限の文字数が指定されることとなってしまい、このことは、非常時用の連絡網で、クラスの全員に伝えられた。

 

職員室から帰ってきたこの女子の話しぶりによると、どうやら先生は、「おぉ、文章量か。そうだな…、まぁ、少なくともノート1ページ、できれば1ページ半は書いてきてほしいな」と言っていたようだ。

 

「ほら、みろ。先生だってオマエに言われるまで、特にきちんと文字数指定なんて考えてなかった様子じゃないか」と、これまた内心つぶやく僕であった。

 

もちろん、もしあのまま「文字数は自由」と解釈して、少ない分量のレポートを提出していたら、先生からの評価が下がり、たくさん書いてきた生徒の方が評価が上がっていたかも知れない。

しかし、そんなことは承知のうえだ。たとえ、「先生が文字数指定をしなかったのだから、文字数についてとやかく言われる筋合いはない」とはいえ、手抜きのレポートで正当に評価してもらおうなんて、そんな虫のいいことは中学生ながらに考えていない。低評価覚悟での手抜きレポートなのだ。

低評価されるかも知れないのがイヤな人は、しっかり分量のあるレポートを書けばいい。それだけの話ではないか。

 

それなのに、この女子が要らぬ確認を先生にしてしまったがために、低評価覚悟の手抜きレポートで済ませようとしていた者を含めた全員に、「ノート1ページ分以上」という、余計なルールが課せられることになってしまったわけである。

 

このときのこの女子のような、「人それぞれが好きなようにすればいい」「各人が自己責任において判断すればいい」という状況・状態をなぜか嫌い、なぜか「全員に統一したルール」を設定しなければ気が済まないタイプの人間というのは、大人になってからも結構目につく。

 

つづく